ギュスターヴ・エッフェルは 1832年12月15日 に生まれました。
もし彼が今も生きていたら、今年で 193歳。
そして12月27日は彼の命日です。
誕生日と命日が近いこの時期、家族でお参りに行ってきました。
毎年のことですが、静かな時間の中で彼の人生に思いを巡らせる、
少し特別な季節でもあります。
お墓はいつ来ても綺麗に整えてくださっていて、素晴らしいです。
1832年、日本は「江戸文化」の真っ只中
1832年――
日本では 天保2年。江戸時代後期にあたります。

葛飾北斎が《富嶽三十六景》を次々と発表し、江戸の町は浮世絵ブームに沸いていました。
庶民が文化を楽しみ、絵や物語が日常に溶け込んでいた時代です。
同じ年、江戸を騒がせた盗賊 鼠小僧次郎吉が捕らえられた年でもありました。華やかな文化と、世情の不安が同居する、そんな時代です。
そのころヨーロッパの片隅、フランス・ブルゴーニュ地方の都市ディジョンで、ひとりの男の子が誕生しました。
それがギュスターヴ・エッフェルです。
ディジョンで生まれた、商人の息子

彼の母 カトリーヌ は、当時としては珍しい 炭を扱う女商人。
女性が商いをすること自体がまだ一般的でなかった時代に、彼女は実務的で、強く、自立した存在だったと伝えられています。
とはいえ、いわゆるブルジョワ階級というほど裕福ではなく、日々の仕事に追われる生活でした。
そのため、幼いギュスターヴは一時期、祖母のもとに預けられて暮らしていたとされています。
江戸とフランス、遠く離れた二つの文化
浮世絵が刷られ、富士山が描かれていた江戸の町。
一方で、産業と科学が少しずつ力を蓄えつつあった19世紀初頭のフランス。
そんな時代に生まれたギュスターヴ・エッフェルが、やがて 鉄と科学の象徴ともいえる塔をパリに建てることになる、そう思うと、文化や場所は違えど、人類の創造力は同じ時代の空気を吸いながら育っていくのだと感じます。

さて、この日はお墓参りの後、墓地のあるルバロワ市役所の皆さんの計らいで、ルバロワ市のClub de la Planchetteにて子孫家族みんなで昼食会となりました!

ギュスターヴは晩年まで家族の集まりをとても大切にしていたそうです。参加者は詩を朗読したり、ピアノを弾いたり。こぞって家族の前で披露したのだとか。
エッフェル塔は世界中の人に愛される建築ですが、私たち家族にとってのギュスターヴは、まず「先祖」であり、「家族の物語の始まりにいる人」です。
誕生日と命日が近いこの時期に、家族でお墓を訪れ、同じ食卓を囲むこと。それは、彼が築いたものが建築だけでなく、時間と人をつなぐ営みでもあったことをあらためて教えてくれます。

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