以前にも記述したのですが、エッフェル家は元々エッフェルという苗字ではなくBönickhausen(ボニーカウゼン)という名でした。ギュスターヴの親の世代では自称としてエッフェルを名乗り、ギュスターヴの時代になって公式にエッフェルに苗字を変えたという経緯があります。

さてでは、エッフェルという名前はどこからやってきたのでしょう?

実はボニーカウゼン家の出身はドイツ西部にある「EIFEL(アイフェル)」と呼ばれる標高の低い山地。その出身地の名にFをひとつ足して(足すとフランス語っぽくなるから?)EIFFELと名乗るようになったのです。

ドイツ西部に広がるアイフェル丘陵

今回、ボニーカウゼン家が住んでいたアイフェル地方のMarmagen(マルマーゲン)という町を訪れてきました。

街のあちらこちらにEifelの名が!

マルマーゲンは人口1700人ほどの小さな町。ボニーカウゼン家があった場所は残念ながら家は取り壊されているものの、新しい建物は町の公共の場として使われています。

こちらがボニーカウゼン家跡地

また広場にはボニーカウゼン家がこの地の出身であることが記された記念碑がありました。(ギュスターヴ自身はフランス・ディジョン生まれ)

この日は市長さん始め、市役所のスタッフの皆さんに出迎えていただき、ボニーカウゼン家跡地の施設でご挨拶をさせていただきました。

資料に見入るサバン

お話によると、ギュスターヴ及び主人の祖先にあたるレオ・ハインリヒ・ボニーカウゼンは 1680 年から 1695 年までマルマゲンの学校の教師を務めていたそうです。

マルマーゲンの歴史を綴った古書にボニーカウゼン家についての記述がありました。

こちらはエッフェル塔100周年の際に当時の市長だった、現市長のお父様がエッフェル塔に招かれ、もらったというエッフェル塔の鉄。大切に保管してくださっています。

その当時にドイツで放送されたサバンのお婆様へのインタビュー映像も見せていただきました。となりには義父と義妹の姿も!義父、若い、笑!サバンはこの時期、イギリスに住んでいたらしく登場せず。

熱がはいるディスカッション

復活祭のお菓子も用意してくださいました。

フランスでは、復活祭の卵はチョコレートで代用することが多いのですが、ドイツでは本当のゆで卵に着色して飾り、復活祭の日に卵の頭とおしりをぶつけあって、どちらの殻が割れるか勝負するのがお決まりだそうです。

お水もEIFEL!この地方でのみ販売されています。

復活祭の祝日にもかかわらず、暖かく迎えてくださったマルマーゲンの皆様に感謝いたします!とても自然が豊かで素晴らしいお城も多い地方です。ぜひ皆様も機会がありましたら訪れてみてください。