今年は大阪で開催される万国博覧会(万博)。

元々各国で小規模に行われていたものが1849年に国際博覧会として提唱され、1851年、ロンドンにて第1回が開催されました。エッフェル塔が建設された1889年の万博は第10回、パリ開催は4回目で世界から35カ国が参加しました。

このパリ博覧会はシャンドマース公園、トロカデロ、そしてアンバリッドなどが会場になり、エッフェル塔は会場の中心に位置し、全ての注目を集めたそうです。数百万人が万博を訪れ、そのうちの 1,953,122人がエッフェル塔を訪れました。つまり1日約12,000人がエッフェル塔を訪れた計算になります。この数は現在とほとんど変わらない数字ですから、当時海外旅行などは難しかったであろうことを考えると凄いですね。

万博開幕直後1週間はエレベーターがまだ稼働していなかったのですが、それにもかかわらず、約30,000人の訪問者が階段で第2展望台まで上がったそうです。

1889年 搭を訪れた人達

当時エッフェル塔は世界で一番高い建造物でしたが、時代はまだ旅客機もありませんでしたから、この高所からの眺めは人々にとって まったく新しい体験だったに違いありません。

万博には沢山の要人も訪れました。フランス人作曲家クロード・ドビュッシーは会場でジャワ島のガムラン音楽アンサンブルの演奏を耳にして、初めて東洋音楽に触れ、その後の楽曲に多大な影響を受けたそうです。

日本はといいますと、初めて万博に参加したのは1867年のパリ万博。しかしこの時は日本国としての参加ではなく、「徳川幕府」、「薩摩藩」、「鍋島藩」という3つに分かれての参加でした。なので公式に日本国として参加したのは1873年のウィーン万博から。そしてもちろんこの1889年の万博にも参加しています。

日本から参加した画家、久保田米僊は「水中遊漁(写真左)」で金賞を受賞。久保田米僊は画家でありつつ、新聞の挿絵も担当しており、この万博のために渡仏した旅の様子や、パリでの滞在を「京都日報」に随時レポートしています。

彼が残した記事がとても興味深いので、ぜひ次回また記したいと思います。ぜひお付き合いください。

さて今年の大阪万博については賛否両論あるようですが、万博が世界の国々の交流や若い世代への道しるべとならんことを祈るばかりです。