ギュスターヴ・エッフェルは1832年12月15日フランス・ディジョンにて生まれました。彼の父親はナポレオン軍の騎兵、フランソワ=アレクサンドル・ボニーカウゼン(自称エッフェル)、そして母親は石炭商を営んでいたキャサリン=メラニー・モヌーズ。
ドイツからフランスにやってきたエッフェル一家の元々の苗字はボニーカウゼンというものでした。それをフランス人には発音しにくい、戦争の影響下でドイツを連想させる名前は宜しくない、、、等の様々な理由から、フランスでは自称エッフェルと名乗っていたそうです。(後にギュスターヴは公式に苗字をエッフェルに改名)
1849年17歳の時初めてパリにやってきたギュスターヴはパリの街に魅了されます。その時父親に向けて書かれた手紙には「まるで夢を見ているようです。魔術のようです。パリは僕をこんなにも動揺させ、文字にすることも難しい」と書かれていました。この時すでにパリ行きを決意したにちがいありません。翌年すぐにカルチェ・ラタンにあるサン・バルブ校のプレパ(予備校のようなところ)に入学しました。
1852年ギュスターヴはパリにあったエコール・サントラルに入学します。本当はポリテクニークという学校に行きたかったらしいのですが、お受験に失敗したらしいです。でもサントラルに行っていなければその後の道も変わっていたはずで、人生というものはわかりませんね。
さて、学校では伯父の化学工場を継ぐために化学を専攻したギュスターヴですが、父親と伯父の折り合いが悪くなり、伯父の会社を継ぐことを諦め、化学から金属工学に専門を変えました。ここも分岐点。もし彼が専攻を変えていなかったら、その後の彼の創作物もやはり存在しなかったでしょうね。
そして、1856年に鉄道会社に就職し、鉄道線路建設事業に従事します。
その会社の経営者チャールズ・ネプヴェウは何度か資金難による経営危機を経験しますが、ギュスターヴは無給でもいいから彼の下で働き続けることを選択します。
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