ギュスターヴに縁の深い土地は幾つもありますが、ルヴァロワ=ペレ市はその中でも特別で、ルヴァロワにはエッフェル塔や自由の女神が実際に製作されたエッフェル社もありましたし、彼や家族の眠るお墓もあります。そんなルヴァロワの話をまとめてみました。
パリや近郊にお住まいでない方はルヴァロワってどこ?と思われるかもしれません。↓ここです。
パリの北西に位置し、メトロでパリとも繋がっており、現在ではパリ市内よりも人口密度の高い、素敵な住宅街です。
今ではそんな人気の街のルヴァロワですが、フランスの産業革命時には沢山の工場が立ち並ぶ、労働者階級の街でありました。
1862年に妻マルゲリータと結婚したギュスターヴは翌年に長女クレア、次年に次女をローラを儲けますが、その時は当時籍をおいていたお隣のクリシー市パウエル社のアトリエに繋がる所に居を構えていました。
この家はつい最近までクリシーのセーヌ川通りと、ポールデュポン通りの角に残っていたらしいのですが、調べたところ、2018年に取り壊されてしまった模様。残念~!と、思っていたら、グーグルマップに残っていた取り壊される前の家の写真を発見しました。こちらがその家。
その後、パリ8区での生活を経て再度ルヴァロワへ。
1867年の万博に参加することになったギュスターヴはフーケ通り48番に720m2のアトリエを契約します。
残念ながらこちらの建物も1970年には取り壊されてしまったようですが、このアトリエで、自由の女神もエッフェル塔も製作されたのですね。
現在のルヴァロワには沢山のエッフェルにちなんだ地名があります。
1877年突然妻のマルゲリータを亡くしたギュスターヴ。ルバロワ墓地の1028番にお墓を設け、そこに妻を埋葬します。そしてその後もう一か所墓地を購入し、自身の両親や妹もそこに埋葬したそうです。
1923年12月27日ギュスターヴ、91歳にて自身の生涯を閉じますが、12月31日にはこのルバロワの墓地に埋葬されました。
なんとその二日後には娘クレアの夫、アドルフ・サルも逝去。そして、1935に年クレアも亡くなり、家族みんな同じ墓地で眠っています。
思えば、私がフランスに来て一番最初に参加した家族イベントが↓2009年こちらのお墓の修復でした。
フランス人はあまりお墓参りに頻繁に行く習慣がないように?感じますが、久々に子供達を連れてお墓参りしてこようと思います。
ルバロア=ペレ墓地 アクセス
101 Rue Baudin, 92300 Levallois-Perret
メトロ3番線 Pont de Levallois より徒歩10分
ヒロセキミコ
良く調べましたね!! 雨の日訪れた際の思い出は今でもはっきり残っています。