今年は大阪で開催される万国博覧会(万博)。
元々各国で小規模に行われていたものが1849年に国際博覧会として提唱され、1851年、ロンドンにて第1回が開催されました。エッフェル塔が建設された1889年の万博は第10回、パリ開催は4回目で世界から35カ国が参加しました。
今年は大阪で開催される万国博覧会(万博)。
元々各国で小規模に行われていたものが1849年に国際博覧会として提唱され、1851年、ロンドンにて第1回が開催されました。エッフェル塔が建設された1889年の万博は第10回、パリ開催は4回目で世界から35カ国が参加しました。
1850年、17歳でパリに上京したギュスターヴが進学する前に寄宿していた学校、パリ5区のCollège Sainte-Barbe。1460年に設立され、パリで最も古いカレッジとされています。1998 年に一旦閉鎖され、学生は利用できなくなっていましたが、2009年に大学の図書館として復活。建物を見学させていただきました。
1870、80年代はエッフェル社にとって栄光の黄金期であったと言っても過言ではありません。次々と大プロジェクトを成し遂げていきます。例えば、
ギュスターヴの最初の大きなプロジェクトがボルドー橋 (La passerelle Eiffel) 建設です。7スパンの含む延長500mの大鉄橋ボーデラックスの橋梁工事でその工事のすべてを担当。この成功に寄って会社より個人で商談を受ける事を許可されます。ギュスターヴ25歳の時でした。
ギュスターヴ・エッフェルは1832年12月15日フランス・ディジョンにて生まれました。彼の父親はナポレオン軍の騎兵、フランソワ=アレクサンドル・ボニーカウゼン(自称エッフェル)、そして母親は石炭商を営んでいたキャサリン=メラニー・モヌーズ。
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