フランスより、エッフェル塔建設で知られるギュスターヴ・エッフェルとその子孫の活動をお伝えします。

カテゴリー: ヒストリー

コレージュ サンベルブ

1850年、17歳でパリに上京したギュスターヴが進学する前に寄宿していた学校、パリ5区のCollège Sainte-Barbe。1460年に設立され、パリで最も古いカレッジとされています。1998 年に一旦閉鎖され、学生は利用できなくなっていましたが、2009年に大学の図書館として復活。建物を見学させていただきました。

エッフェル成熟期 1891~1923

最終的に無罪になったパナマ事件でかなりの心の痛手を負ったギュターヴ。会社の経営を若手に任せ、エッフェル塔内のサロンにて自ら興味のあった分野の研究に勤しみます。

1909年にはエッフェル型と言われる風洞を開発し、オゥトイユにラボワトワールを構え、研究に没頭しました。

エッフェル黄金期 1870~1890

1870、80年代はエッフェル社にとって栄光の黄金期であったと言っても過言ではありません。次々と大プロジェクトを成し遂げていきます。例えば、

キャリア初期1857~1869

ギュスターヴの最初の大きなプロジェクトがボルドー橋 (La passerelle Eiffel) 建設です。7スパンの含む延長500mの大鉄橋ボーデラックスの橋梁工事でその工事のすべてを担当。この成功に寄って会社より個人で商談を受ける事を許可されます。ギュスターヴ25歳の時でした。

ギュスターヴ誕生~1856

ギュスターヴ・エッフェルは1832年12月15日フランス・ディジョンにて生まれました。彼の父親はナポレオン軍の騎兵、フランソワ=アレクサンドル・ボニーカウゼン(自称エッフェル)、そして母親は石炭商を営んでいたキャサリン=メラニー・モヌーズ。

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