フランスより、エッフェル塔建設で知られるギュスターヴ・エッフェルとその子孫の活動をお伝えします。

投稿者: ゆきこ Page 7 of 9

エッフェル成熟期 1891~1923

最終的に無罪になったパナマ事件でかなりの心の痛手を負ったギュターヴ。会社の経営を若手に任せ、エッフェル塔内のサロンにて自ら興味のあった分野の研究に勤しみます。

1909年にはエッフェル型と言われる風洞を開発し、オゥトイユにラボワトワールを構え、研究に没頭しました。

東京タワー&エッフェル塔コイン

2021に夏に行われた東京オリンピック。

なぜか?我が家の息子達はこういう時、フランス人選手よりも日本人選手を応援します。パリにいながらも大興奮で毎日応援しました。

そして次は2024年パリオリンピック。東京からパリへのバトンタッチを記念して、フランスの造幣局から記念のコインが発行されました。

自由の女神像

エッフェル塔の他にも様々な橋や建物の設計をしてきたギュスターヴですが、実は自由の女神像の製作にも関わっていました。

自由の女神像はアメリカ合衆国建国100周年を祝って1886年にフランスより贈られました。彫刻を担当したのはフレデリク・バルトルディですが、なんと像の外側は3/32インチ(約2.5ミリ)の銅でできているんだそうです。薄くてびっくりですよね。その銅製の薄い彫刻を中で支えている構造物があるわけですが、それを設計したのがギュスターヴです。

搭の身長が伸びます!

エッフェル塔の高さは建設時は300.65m(旗部を含むと312.3m)。1959年、そして2000年にもに塔の最上部にラジオアンテナが取り付けられるなどの拡張工事が行われ、高さは324m に。そしてこの度、更に無線アンテナが取付けられることになりました。

ラボラトワール・エッフェル

ギュスターヴは晩年、エッフェル社の経営を娘婿のアドルフ・サルと旧友モーリス・ケクランに委ね、気象観測、天体観測、生物学的観測、無線逓信研究にいそしみました。エッフェル塔内で当初は研究をしていましたが、後にパリ16区のオートイュに研究所を構えました。それがラボラトワール・エッフェルです。

7区に新アドレスが誕生します

皆さん、パリにエッフェルに因んだアドレスはどの位あると思いますか?

もちろんお店や場所の名前としてはいくつもあるのですが、公式のアドレスとしては7区にあるAvenue Gustave Eiffelのみ。エッフェル塔とシャンドマース公園の間に走る通りです。

そしてこの度、 エッフェル塔の4本の柱の間にある遊歩道がEsplanade des Ouvriers de la Tour Eiffelと名付けられることに。

映画「EIFFEL」フランス公開

さて、今回のお話はフランスで公開された映画「EIFFEL」。家族は映画の製作には関わっていないのですが、やはり実在の人物を主人公に据えた映画という事で家族会には早くから制作側からコンタクトがあり、サバンは初期のスタッフ試写会から映画を拝見する機会に恵まれました。

家族が抱いているギュスターヴ像とはかなり違いはあるものの、自分たちの祖先を映画にしてくれているという事への感謝を込めて、映画のプロモーションに一役買わせていただくことになりました。

ルパリジャン紙

映画「Eiffel」のプロモーションに家族会として参加させていただいている主人ですが、10月13日のLe Parissienに記事を掲載していただきました。

Weekend in Bordeaux

ボルドーに住んでいたこともあるギュスターヴは邸宅やシャトーなどボルドーに所有していた財産を長男エドワードに相続させたため、エドワードの子孫は今もボルドーに住んでいる人が多くいます。

この週末はボルドーで集まろうという話になり、家族でボルドーに行ってきました。

東京タワー訪問

この度秋休みを利用して日本へ里帰り。すでに日本を旅行したことのある義両親も「もうこれが最後だと思うの!」と一緒に来日することになりました。

直前に私の家族に不幸があったりで慌ただしい出発となりましたが、なんとか日本で無事合流。東京で数日一緒に過ごし、東京タワーを訪問してきました。

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