フランスより、エッフェル塔建設で知られるギュスターヴ・エッフェルとその子孫の活動をお伝えします。

投稿者: ゆきこ Page 7 of 10

番外編:名古屋テレビ搭へ

今回の日本滞在では更に名古屋テレビ搭さんにも縁あってお邪魔しました。何度も名古屋を通り過ぎたことはあるものの、実は観光するのは初めて。そういう方結構いらっしゃるのではないでしょうか。

番外編:大阪通天閣へ

夏休みで久しぶりに日本へ。大阪INだったので、通天閣へお邪魔してきました。通天閣は言わずと知れた大阪の観光名所ですが、実は上ったのは初めて。訪問は通天閣社長、高井様にご案内いただき、歴史あり、笑いあり!の通天閣話を聞かせていただきました。

アーブル歩道橋【サン・クルー – ブローニュの森間】

仏語名:Passerelle de l’Avre  施工期間: 1891-1893

1893年に作られた、パリの西側、セーヌ川沿いのサン・クルー市とブローニュの森を繋ぐ水歩道橋。ゆったり流れるセーヌ川にかかる真っすぐな歩道、そして広がるパノラマを堪能できるお散歩にぴったりな素敵な橋をご紹介します。

日本経済新聞

2022年4月17日、23日の日本経済新聞にエッフェル塔についての記事を掲載していただきました。家族会のミリアムがインタビューに答えています。前半の記事はエッフェル塔建設についてのいきさつと彼の人柄について。後半は、エッフェル塔をモチーフとした絵画について語られています。

ギュスターヴの声

ギュスターヴが生きた1800年代後半から1900年代前半には産業革命に伴いいろいろなものが世界中で発明されました。1889年に行われた世界万博では、一般公開されたエッフェル塔に沢山の発明家や科学者が招待されたそうです。その中に蓄音機や白熱電球の発明で有名なトーマス・エジソンがいました。

ルヴァロワ=ペレ市の話

ギュスターヴに縁の深い土地は幾つもありますが、ルヴァロワ=ペレ市はその中でも特別で、ルヴァロワにはエッフェル塔や自由の女神が実際に製作されたエッフェル社もありましたし、彼や家族の眠るお墓もあります。そんなルヴァロワの話をまとめてみました。

家系の話

ギュスターヴ・エッフェルの子孫はどの位の人数いるでしょう?

彼の家系はすでに7代目まで達しています。私達の息子達は7代目にあたり、主人は6代目に当たります。ちょっと話が逸れますが、実はこれ、最近まで日本式の言い方とフランス式とで数え方が違うということに気づいていませんでした・・・😅。

一人芝居 「Gustave Eiffel, en fer et contre tous」

アレクサンドル・ドリモージュによる一人芝居、「Gustave Eiffel, en fer et contre tous」。

*タイトルの日本語訳、いいアイデアがあったらご提案ください、笑

定期的に各地で上演されているこのプログラムを家族会メンバーのために9区にあるTheâtre Le Boutにて上演してくれました。

2018年のアヴィニオン演劇フェスティバルで最優秀俳優賞を受賞した事もあるアレクサンドル、なんと脚本も本人が手掛け、出版されています。

エッフェル成熟期 1891~1923

最終的に無罪になったパナマ事件でかなりの心の痛手を負ったギュターヴ。会社の経営を若手に任せ、エッフェル塔内のサロンにて自ら興味のあった分野の研究に勤しみます。

1909年にはエッフェル型と言われる風洞を開発し、オゥトイユにラボワトワールを構え、研究に没頭しました。

東京タワー&エッフェル塔コイン

2021に夏に行われた東京オリンピック。

なぜか?我が家の息子達はこういう時、フランス人選手よりも日本人選手を応援します。パリにいながらも大興奮で毎日応援しました。

そして次は2024年パリオリンピック。東京からパリへのバトンタッチを記念して、フランスの造幣局から記念のコインが発行されました。

Page 7 of 10

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén