日々是エッフェル

フランスより、エッフェル塔建設で知られるギュスターヴ・エッフェルとその子孫の活動をお伝えします。

日本経済新聞

2022年4月17日、23日の日本経済新聞にエッフェル塔についての記事を掲載していただきました。家族会のミリアムがインタビューに答えています。前半の記事はエッフェル塔建設についてのいきさつと彼の人柄について。後半は、エッフェル塔をモチーフとした絵画について語られています。

ギュスターヴの声

ギュスターヴが生きた1800年代後半から1900年代前半には産業革命に伴いいろいろなものが世界中で発明されました。1889年に行われた世界万博では、一般公開されたエッフェル塔に沢山の発明家や科学者が招待されたそうです。その中に蓄音機や白熱電球の発明で有名なトーマス・エジソンがいました。

ルヴァロワ=ペレ市の話

ギュスターヴに縁の深い土地は幾つもありますが、ルヴァロワ=ペレ市はその中でも特別で、ルヴァロワにはエッフェル塔や自由の女神が実際に製作されたエッフェル社もありましたし、彼や家族の眠るお墓もあります。そんなルヴァロワの話をまとめてみました。

家系の話

ギュスターヴ・エッフェルの子孫はどの位の人数いるでしょう?

彼の家系はすでに7代目まで達しています。私達の息子達は7代目にあたり、主人は6代目に当たります。ちょっと話が逸れますが、実はこれ、最近まで日本式の言い方とフランス式とで数え方が違うということに気づいていませんでした・・・😅。

一人芝居 「Gustave Eiffel, en fer et contre tous」

アレクサンドル・ドリモージュによる一人芝居、「Gustave Eiffel, en fer et contre tous」。

*タイトルの日本語訳、いいアイデアがあったらご提案ください、笑

定期的に各地で上演されているこのプログラムを家族会メンバーのために9区にあるTheâtre Le Boutにて上演してくれました。

2018年のアヴィニオン演劇フェスティバルで最優秀俳優賞を受賞した事もあるアレクサンドル、なんと脚本も本人が手掛け、出版されています。

エッフェル成熟期 1891~1923

最終的に無罪になったパナマ事件でかなりの心の痛手を負ったギュターヴ。会社の経営を若手に任せ、エッフェル塔内のサロンにて自ら興味のあった分野の研究に勤しみます。

1909年にはエッフェル型と言われる風洞を開発し、オゥトイユにラボワトワールを構え、研究に没頭しました。

東京タワー&エッフェル塔コイン

2021に夏に行われた東京オリンピック。

なぜか?我が家の息子達はこういう時、フランス人選手よりも日本人選手を応援します。パリにいながらも大興奮で毎日応援しました。

そして次は2024年パリオリンピック。東京からパリへのバトンタッチを記念して、フランスの造幣局から記念のコインが発行されました。

自由の女神像

エッフェル塔の他にも様々な橋や建物の設計をしてきたギュスターヴですが、実は自由の女神像の製作にも関わっていました。

自由の女神像はアメリカ合衆国建国100周年を祝って1886年にフランスより贈られました。彫刻を担当したのはフレデリク・バルトルディですが、なんと像の外側は3/32インチ(約2.5ミリ)の銅でできているんだそうです。薄くてびっくりですよね。その銅製の薄い彫刻を中で支えている構造物があるわけですが、それを設計したのがギュスターヴです。

搭の身長が伸びます!

エッフェル塔の高さは建設時は300.65m(旗部を含むと312.3m)。1959年、そして2000年にもに塔の最上部にラジオアンテナが取り付けられるなどの拡張工事が行われ、高さは324m に。そしてこの度、更に無線アンテナが取付けられることになりました。

ラボラトワール・エッフェル

ギュスターヴは晩年、エッフェル社の経営を娘婿のアドルフ・サルと旧友モーリス・ケクランに委ね、気象観測、天体観測、生物学的観測、無線逓信研究にいそしみました。エッフェル塔内で当初は研究をしていましたが、後にパリ16区のオートイュに研究所を構えました。それがラボラトワール・エッフェルです。

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